2017年02月20日
かくかくしかじか (その4)
今日で纏めます。
多分ネタバレまで書くと思いますので、知りたくない人はスマホ割るなり、パソコン強制終了させたりしてください。
ソノ前に、その1からその3はこちら。
↓
かくかくしかじか(その1)
かくかくしかじか(その2)
かくかくしかじか(その3)
※↑をクリックすると飛びます。
(2012-2015 Cocohana 集英社 全五巻)
地元に帰って来て、普通に働いていた東村だが、やっぱり漫画の夢は諦められず
働きながら漫画を描くという二足のわらじ状態に入って行く。
というか会社を辞めたいという不純な動機で漫画を描き始める。
結局職場は辞めた。
辞めた代わりと言うのもなんだが、先生のアトリエでアシスタント(非常勤講師)的な事をやらされる。
要は漫画を描きながら、生徒に絵を教えて行くと言う感じ。
そして意外な才能にもこのとき気付くw
しかし、そこは東村、あっという間にデビューにこじつける。
漫画描くのも忙しくなり、東京に移動することを決め、漫画一本でやって行くと決め、
毎日がめまぐるしく忙しくせっせと漫画に取り組んでいた頃こんな電話が。
「肺にガンが見つかった」
こんな事をさらっと伝えて、さっさと切る。
「オレは近々死ぬから」と。
そして身辺整理をする為に、生徒皆で教室に集合する。
何故か自作の一輪挿しを売りつけられる。
この頃には、死ぬと分かっていながらもそれを表に出さず、とにかく普通にしていた先生見るだけでこっちも辛かった。
無論、描いてる東村はその比ではないのは容易に想像出来るとしてもだ。
人間なんて、生き様もそうだが「死に様」も大切だと常々思ってはいるが、果たして自分が死に直面した時にこういう風に出来るだろうか?
と、ふと考えさせられたり。
日高教室にも後輩が沢山居て、その中に元ヤンキーで高校の後輩でもある今ちゃん(今田)は、東村に絵の才能を見いだされ、
高校の美術部に入り、やがて日高絵画教室にも通い、多摩美に合格。
卒業後はスペインに絵画留学する。
そして帰国後も自分の個展を開いたりと。
先生も病気が進む中、わざわざ個展を見に来てくれたと、葬式の席で今ちゃんが言っていた。
もう喋る事もしんどくなってる状態の先生が発した一言を、葬式後絵画教室に集まっていた皆に伝える。
「描け」
教室に居た皆が泣いた。
オレも泣いた。
この漫画で散々言われて来た言葉だ。
「描け」
「描け」
「描け」
「描け」
この漫画のテーマである。
どうやって「美大に合格したか」、「漫画家になれたか」と、東村は、よく若い子に聞かれるらしいが、絵を描くということは、ただ手を動かし「描くこと」、「どれだけ手を動かしたか」が全てだ。
日高教室で同じものを何回も何十回も強制的に描かされた。
それがよかったと思うし、楽しくだけでない押しつけるような、きつい先生に出会うこともだいじだ。
大学で描けなくなったのは、「何を描くか」、「自分の描きたいものは」と考えたからだ。
根気のない子や頑張れない子、逃げで描く子は無理だ。絵を描くことに生活で一番集中してないと。
しかし、口で言うと偉そうだし、若い子には伝わらないので漫画で表そうとした。
若い子は、ある日何か降りてきて、いつかすっと描けるようになると思っている。
それは違って、しんどいが想念の海の中から無理やり、何か掴んで引きずり降ろすしかない。
とにかく描けと。
絵だけの話しになってると思うが、他にも通づる部分が多いにある。
死の際に立たされた人間の言葉だから、響くかもしれない。
死んだ人の言葉だから余計に感じるのかもしれない。
でも最後まで貫いている。
自分が教わって間違ってなかった「教え」を。
自分の後世に伝える為にと。
それが生きた証であり、生き様であり、死に様である。
何度も泣いてしまう。
胸が押しつぶされそうになってしまう。
だから東村は「描く」んだろう。
これまでも、これからも。
ちゃんと教えを胸に刻んで。
作中、何度も語りかけていたのは亡くなった先生に対するメッセージだったってのが、読了して理解する。
長くなりましたが、とりあえずここまで。
是非、読んで欲しい作品です。
かくかくしかじかにまつわる身近なエピソードもあるのだが、それはまた別記事に書いてみようと思います。
多分ネタバレまで書くと思いますので、知りたくない人はスマホ割るなり、パソコン強制終了させたりしてください。
ソノ前に、その1からその3はこちら。
↓
かくかくしかじか(その1)
かくかくしかじか(その2)
かくかくしかじか(その3)
※↑をクリックすると飛びます。
(2012-2015 Cocohana 集英社 全五巻)
地元に帰って来て、普通に働いていた東村だが、やっぱり漫画の夢は諦められず
働きながら漫画を描くという二足のわらじ状態に入って行く。
というか会社を辞めたいという不純な動機で漫画を描き始める。
結局職場は辞めた。
辞めた代わりと言うのもなんだが、先生のアトリエでアシスタント(非常勤講師)的な事をやらされる。
要は漫画を描きながら、生徒に絵を教えて行くと言う感じ。
そして意外な才能にもこのとき気付くw
しかし、そこは東村、あっという間にデビューにこじつける。
漫画描くのも忙しくなり、東京に移動することを決め、漫画一本でやって行くと決め、
毎日がめまぐるしく忙しくせっせと漫画に取り組んでいた頃こんな電話が。
「肺にガンが見つかった」
こんな事をさらっと伝えて、さっさと切る。
「オレは近々死ぬから」と。
そして身辺整理をする為に、生徒皆で教室に集合する。
何故か自作の一輪挿しを売りつけられる。
この頃には、死ぬと分かっていながらもそれを表に出さず、とにかく普通にしていた先生見るだけでこっちも辛かった。
無論、描いてる東村はその比ではないのは容易に想像出来るとしてもだ。
人間なんて、生き様もそうだが「死に様」も大切だと常々思ってはいるが、果たして自分が死に直面した時にこういう風に出来るだろうか?
と、ふと考えさせられたり。
日高教室にも後輩が沢山居て、その中に元ヤンキーで高校の後輩でもある今ちゃん(今田)は、東村に絵の才能を見いだされ、
高校の美術部に入り、やがて日高絵画教室にも通い、多摩美に合格。
卒業後はスペインに絵画留学する。
そして帰国後も自分の個展を開いたりと。
先生も病気が進む中、わざわざ個展を見に来てくれたと、葬式の席で今ちゃんが言っていた。
もう喋る事もしんどくなってる状態の先生が発した一言を、葬式後絵画教室に集まっていた皆に伝える。
「描け」
教室に居た皆が泣いた。
オレも泣いた。
この漫画で散々言われて来た言葉だ。
「描け」
「描け」
「描け」
「描け」
この漫画のテーマである。
どうやって「美大に合格したか」、「漫画家になれたか」と、東村は、よく若い子に聞かれるらしいが、絵を描くということは、ただ手を動かし「描くこと」、「どれだけ手を動かしたか」が全てだ。
日高教室で同じものを何回も何十回も強制的に描かされた。
それがよかったと思うし、楽しくだけでない押しつけるような、きつい先生に出会うこともだいじだ。
大学で描けなくなったのは、「何を描くか」、「自分の描きたいものは」と考えたからだ。
根気のない子や頑張れない子、逃げで描く子は無理だ。絵を描くことに生活で一番集中してないと。
しかし、口で言うと偉そうだし、若い子には伝わらないので漫画で表そうとした。
若い子は、ある日何か降りてきて、いつかすっと描けるようになると思っている。
それは違って、しんどいが想念の海の中から無理やり、何か掴んで引きずり降ろすしかない。
とにかく描けと。
絵だけの話しになってると思うが、他にも通づる部分が多いにある。
死の際に立たされた人間の言葉だから、響くかもしれない。
死んだ人の言葉だから余計に感じるのかもしれない。
でも最後まで貫いている。
自分が教わって間違ってなかった「教え」を。
自分の後世に伝える為にと。
それが生きた証であり、生き様であり、死に様である。
何度も泣いてしまう。
胸が押しつぶされそうになってしまう。
だから東村は「描く」んだろう。
これまでも、これからも。
ちゃんと教えを胸に刻んで。
作中、何度も語りかけていたのは亡くなった先生に対するメッセージだったってのが、読了して理解する。
長くなりましたが、とりあえずここまで。
是非、読んで欲しい作品です。
かくかくしかじかにまつわる身近なエピソードもあるのだが、それはまた別記事に書いてみようと思います。